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2011年3月19日 (土)

励ましにはクリスピークリーム

金曜に、一週間ぶりに働きました。うちのランゲージセンターは営業時間を狭めての再開でしたが、その日は6レッスン教えました。

しかし原発の事態への懸念から、国外退避する教師が後をたたず、ランゲージセンターによっては通常業務等夢のまた夢です。うちのランゲージセンターは日本での生活に親しみを持っている教師が多いようで、ドイツ人とイギリス人、一人ずつの帰国で済みました。というか残った教師に「サイモンは帰んないの?」とか聞いて見ても「帰る人の気持ちがわからん。」「日本に彼女いるし」くらいのとても冷静な反応でした。しかし会社全体では教師不足が深刻で、今週末から来週の火曜にかけて営業困難との判断があり、また休業になりました。なんか他のランゲージセンターでは12人いた教師が今ではONLY ONEになっているところもあるようです・・・ちょっと過剰に反応しすぎでは・・・・とも思ってしまう。たしかにニュースの原発関連のニュースを鵜呑みにできないのも事実ですけどね・・・

ということで金曜は教師達は普段よりはだいぶのんびりした労働量でしたが、スタッフは大変です。レッスンの予約を入れている生徒さん全員に電話で休校のお知らせをして、お詫びをし、関係各所にこれからの段取りを連絡して・・・先日書いたように、スタッフのうちの一人はご家族が岩手で非難生活をしているという事態です。でも一人でじっとしているより、仕事をしていたほうが気が紛れるということで、がんばって働いてくれています。・・・僕に業務で手伝えることはあまりないのですが、どうしても力になりたい。そこでお昼のレッスンが終わった瞬間、僕は渋谷に向かいました。

疲れている時、ストレスが溜まっている時、食べたいものはなんだ!!!!

誰だって同じだ!!!! それはゲロ甘スイーツだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!

渋谷のクリスピークリームに入り、12個入りの箱を二つ購入。

がんばってるスタッフさん一同のために、見た目にも楽しげなこれ↓

Smile

「お仕事がんばってください」とドンッと受付のデスクに置くと異様に喜んでくれました。普段旅行とか行っても同僚用には絶対におみやげ買ってこない心遣いZEROな僕がいきなりドーナツくれたのが付加効果を生み出しました。ご両親が大変なスタッフさんは箱の中身を見ると、泣き崩れてしまいました。・・・・差し入れというのはこういういざという時にするべきですね。よし、これからもケチを貫き通そう

仕事がなくてのんびりしてる他の教師にはこれ12個↓

Original

仕事ねぇキサマらはこのなんのカラフルさもくそもない方を食べてろ

営業終了時間にはドーナツは全てなくなっていました。

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2011年3月14日 (月)

地震後週明け

僕の会社は全体の業務を土日の間、停止していたのですが、月曜から通常業務に戻る、との発表でした。

僕は会社の近くに住んでいるので出社自体に問題はないのですが、時間帯運休が各線で昼から行われるので、毎週月曜にある他企業への訪問レッスン、それに支障が出そうだなと思いながら、出勤。

ローカル線の世田谷線は特に問題なく動いていましたが、三軒茶屋駅に着くとそこには駅いっぱいの人が。電車自体は5割程度の本数で動いているようですが、人の列はぴくりとも動きません。都心に向かう沿線なので、前の駅、その前の前の駅、その前の前のMAENO・・・で同じような状況なのでしょう。一緒に三軒茶屋駅まで出勤してきた彼女は、あきらめて徒歩&バスで会社に向かうことに。ああ・・・またあの遠路を歩かせるのは忍びないですが、花粉症対策用の3Dマスクを着けてニワトリのような顔になってコケコケ歩いて行く後姿を見送りました。

会社に入ると、節電のため電気はついていない。スタッフ一名と、上司がすでに来ていました。

スタッフさんは、お住まいは三軒茶屋なので仕事には来れましたが、かわいそうなことに実家が岩手。彼女の実家は全壊したそうですが、ご家族の安全は確認できたとのことで、よかった。「家族が生きていただけでも幸せです。」と。ああ・・・・こういう時はなんと言えばいいのか・・・・日本語だとわからない・・・・使い慣れない慣用句を使っても気持ちは伝わらないし・・・・

レッスンを行うにしても、スタッフも教師もレッスン開始時間に出社できるかの見込みがむずかしいため、とりあえず水曜まで休業することにしたと、上司が教えてくれました。スタッフさんも、関係各所に電話でその旨を伝えた後に、帰るそうです。

ランゲージセンター内は金曜に緊急避難をしたままの状態だったので、少し後片付けを手伝ってから僕も帰路につきました。

2、3日分の食料を買っておこうと思い、帰りにSEIYUに寄りました。

すると同じ考えの人が大勢いて、すでにペットボトル飲料の棚はほぼからっぽ。コーラとファンタくらいしか残ってない。野菜も緑黄色野菜を中心にほぼ売り切れ、卵は全滅、米も全滅、カップラーメンは当然のごとく全滅。家は米はあと2食分くらいしか残ってないな・・・・

そこでお米がなくてもおいしいもので、少ないレパートリーの中から自分が作れるものは何かと考えた結果、シチュー系だと結論。ホワイトソースと、玉ねぎのみじん切りが入っているトマト缶を2缶ずつ買いました。ソーセージ、豚肉、たまねぎ、じゃがいも、ねぎ、レタス、野菜ジュース、インスタント味噌汁など手に入るものを買い、帰ってきました。

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2011年3月11日 (金)

地震の爪あと

3月11日

午後 1:15

朝の6レッスンを終え、夕方に教えるクラスまで時間があるので、一旦家に帰ることに。

午後 1:30

一時帰宅し、昼食を取る。

午後 2:35

赤壁で魏軍の大群を火計にて退ける。買ったばかりの真・三國無双6で

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午後 3:00

ゲーム中に少し強い揺れを感じる。遊ぶのを止め、危険な揺れかどうかを5秒ほどかけ判断する・・・・・・・・・これはヤバイ

すぐさまゲームを消し、手の届く電化製品の電源を落とす。その間にも揺れは横に大きくなる。物や建物のきしむ音。家には壁や天井に落ちてくるようなものは無い。ただ唯一、本棚の中の大量のバガボンドと銀魂がバサバサと床に落ちる。ああ!!!聖☆おにいさん1から3巻もやられた!!!!しかし落ちた巻数を数えられる余裕も、いっこうに収まらない強い揺れによる恐怖感によって奪われる。一番激しく揺れて今にも倒れそうなテレビを左手で押さえ、すぐ隣の本棚を右手で押さえ、一昨日修理から帰ってきたばかりのプレステ3を左足で押さえる。うおおおおおまた12000円もの修理代を払ってなるものか!!生きろ!!プレステ!!!!お前は生きるためにこの家に帰ってきたんだ!!!!

何秒経ったかわからないが、揺れはとにかく長く、強い。プレステを足で押さえ始めたあたりからすでにニュージーランドの大地震のニュースが頭によぎっている。家具とプレステの尊い命を支えながら次によぎるのは、彼女の安否、なぜか今朝教えたばかりの生徒さん達の安否、鎌倉に住む父親の安否、そして揺れがようやく少し弱まった頃に、「ちょうどセーブポイントで地震が発生したのが不幸中の幸いだった」という、自らを冷静にさせる自分でもくだらないと感じる考え。本震が過ぎた後も、僕の家はグラグラと揺れ続け、まるで穏やかな波の上の船に乗っているよう。

その後も強い余震と、新たな地震、そしてまたその余震。

午後3:20

台所のガスの栓を一応閉め、テレビをつける。呆然としてしまい、テレビを眺めるくらいの気力しかなかった。これが気疲れというものか。彼女に電話するが、繋がらない。ネットは生きていたので、ツイッターで無事を報告。

午後3:40

我がベルリッツ校は大丈夫だろうか。倒壊はしてないだろうけど、わりと古いビルだからな・・・ものとか落ちて大変だったろうな・・・・・・・・・・・・・ハッ!!!!4:45からキッズクラスが!!!!!

まだ時間にだいぶ余裕があるが、ニュースによると関東の電車は全て止まっているので・・・これは・・・・・歩いて行かなければ!!!!ということは・・・準備時間も含めると今出なければ!!!!!

僕は、駆け出した。競歩で

待っていろ、キッズたち・・・・・先生は今いくぞぉぉぉぉぉぉ待っていろぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!

待っていませんでした

まあそうだろうね。それどころじゃないよ。エレベーターは止まっていて、また強い地震や余震が来ると危ないので、その日のレッスンは全てキャンセルになりました。社員はあまり慌ててはいませんでした。さすが日本人。しかし去年来日したばかりのイギリスからの新任教師君はこんな地震経験したことないので、かなり浮き足立ってました。

午後 4:45

なんと4歳のキッズの男の子二名が、お母さんと一緒に来てくれました。

キッズ:「Hello~!」

僕:「Hey, were you ok?」(大丈夫だったー?)

キッズ:「OK~」(だいじょぶー)

僕:「Were you scared?」(こわかったー?)

キッズ:「Not scared!」(こわくなかったー!)

僕;:「Really? I was scared to death.」(マジでー?先生死ぬほどこわかったよ)

という会話をした後、今日は大事を取ってキャンセルだと伝えられたお母さんに連れられて、帰っていきました。元気そうな顔を見れただけでも、徒歩20分の距離を12分くらいで歩いてきた甲斐があった。来る途中、近くのカラオケ店のビルの壁が一部ヒビが入ってました。危ない・・・・・・

この地震を経て、少し考えさせられました。

自分がたまたま家にいなかったら間違いなく倒れていただろう大型家具。・・・固定しよう

彼女と連絡が取れないことで煽られる不安感。・・・災害時の集合位置、連絡方法を決めておこう

わずか12分の距離を競歩しただけで僕の両の脚を襲った尋常じゃない筋肉痛。・・・運動しよう

東京は死傷者がたくさん出るような被害はありませんでしたが、震源や海岸線の被害はひどいと今ニュースで言っています。震源じゃない東京でも地震の間、あんなに心細い思いをしたのに、震源近くでの恐怖は想像できません。ニュージーランドの地震は他人事じゃないと頭ではわかっているつもりでしたが、身を持って、改めて他人事じゃないと感じました。

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2011年3月 9日 (水)

上海旅行10

最終日。

帰りの飛行機は夕方なのでまだ行ってなかったあのタワーへ。

Tower

この至近距離でも霞むほどの霧と排気ガス。

東方明珠電視塔という名前らしいのですが、1994年に完成したものだそうです。1994年でこんなでっかいもの建てたってすごいなと思いました。

電視塔の下の人の数もすごいなと思いました。

どうやら中国の地方から 訪れる人は、例えば僕たちのような海外からの観光客とは違って、こういう中国の発展の象徴のような観光スポットの方が目当てなようで、とんでもない混雑模様でした。

で、人混みに疲れてしまったため、空港に向かう前にお茶休みをすることに。休憩できる場所を探しにすぐ近くのデパートに寄ったのですが、デパートの敷地に入った瞬間、観光客らしき人の姿がサッパリ消えました。静寂。

東京だとどこに行ってもまんべんなく混んでいて、どんな人もわりとどんな所にでも入れます。しかし上海ではデパートなんかは高所得者のみが入る場所、みたいなことなんでしょうか。旧正月だということもあるんでしょうが。

2009年の段階で上海の中国人の平均月収は、3565元、およそ45,000円。デパートにはそんな平均月収の1/4、1/2みたいな価格の商品が置いてあるんですかね。

上海内の所得の格差が目に見えて実感できましたが、中国人の所得は毎年およそ10%というものすごいスピードで上昇しているようです。そのうちデパートも人でいっぱいになるんでしょうね。

東京では入ろうとも思わなかったホテル、リッツ・カールトンのカフェへ。50何階かにあり、眺めがよさそう、ということで母が案内してくれました。おお、さすがリッツカールトン、内装がとてもキレイ!カフェは広々として、天井は高く、窓もでかい!

・・・まあ空気汚染でそんなに遠くは見えないんだろうなとは覚悟していましたが、それ以前にリッツカールトンの窓、汚い

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・・・これは実際の写真ではないのですが、まさにこんな感じでした。そういえば泊まったホテルも、眺めがよくないので逆に気にならなかったんですが、あの窓もばっちり汚れてたな・・・・・というか全体的に上海にある高層ビルは壁と窓全部くすんでたな・・・・・・・・細やかな気配りができる日本が少し恋しくなった、最終日でした。

そういう細かいことは気にしないからなのか、あまりに発展が速くて新しいものがバンバン建てられる中、窓拭き等のために立ち止まってはいられない!みたいなことなのかわかりませんが、同じ大都市でも東京とは似ているようで、違う。共通点や相違点に気づくたびに面白いと感じた、そんな旅行でした。

完。

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